孫代表の挨拶(祖母の告別式、平成24年1月25日)

 おばあちゃん、あなたが亡くなって、わたしの眼に浮かぶのは、わたしが高校を卒業するまで毎朝、家の門の前まで出て、通学するわたしを見送ってくれたおばあちゃんの姿です。おばあちゃんはわたしが角を曲がるまで、ずっとわたしの背中に手を振ってくれていました。
 わたしが小学生のとき、海外旅行から帰ってきたおばあちゃんが倒れてしまい、しばらくして家に帰ってきたとき、おばあちゃんがわたしたちの顔も名前もわからなくなっていたことがわたしにはとてもショックでした。少しずつ回復していきましたが、わたしは倒れる前のおばあちゃんに戻って欲しくて、毎日のようにおばあちゃんの部屋に行ってはおばあちゃんの肩をたたいたり、遊んでもらったりしたことを覚えています。
 毎朝、おばあちゃんがわたしを見送ってくれたのは、わたしが倒れた後のおばあちゃんに尽くしたからだ、わたしはどこかそう考えていたふしがあります。おばあちゃんが亡くなった今、そのことをわたしは恥ずかしく思います。おばあちゃんがわたしに与えてくれたのは、言葉通りの意味で「無償の愛」だったはずです。
 小学生のとき、雨のなかランドセルを忘れて学校に行ったことがありました。わたしは教室について初めてそのことに気づいて、泣きながら通学路を逆走し、ずぶ濡れになっておばあちゃんのいる家に駆け戻りました。泣きじゃくるわたしを、優しく抱き留めてくれたおばあちゃん。
 二階のおばあちゃんの部屋から見える松の木の枝にスズメが巣を作っているのを、うれしそうにわたしに教えてくれたおばあちゃん。
 こうして思い浮かぶわたしにとってのおばあちゃんの姿、その笑顔を思い出すだに、今人の親となったわたしは、おばあちゃんに教えられているように思います。人を愛するということ、どんな見返りを期待するということなく、ただ愛情を持って家族を見守るということ。
 そんなおばあちゃんの人生には様々な紆余曲折があったらしいことを、わたしは詳しくは知りません。わたしはおばあちゃんの訃報に接して、一昨日の晩、なぜか本棚からおばあちゃんと同世代の小説家たちが晩年、今のおばあちゃんと同じくらいの歳で書いた小説をいくつか取り出し、開いてみました。それらは作家の日常を描いたものです。おばあちゃんも本や芸術が好きで、おばあちゃんの部屋には婦人雑誌や絵画についての本や小説などがたくさんありました。わたしが文学や芸術に興味を抱くようになったのは、おばあちゃんの影響もあったように思います。
 しかし小説家のようにはおばあちゃんの生きた痕跡はこの世に形として残りません。それは残されたわたしたちの心のなかにだけ、あるということになります。けれども、だからこそ、おばちゃんがわたしたちに残してくれたものはかけがえがないものだと思っています。おばあちゃんの優しさ、愛情を、わたしたち自身やわたしたちの子どもたちに受け継いでいくことが、おばあちゃんがわたしたちにしてくれたことに、報いることだと思っています。どうか安らかに、いつまでもわたしたちを見守っていて下さい。